毎月連載されている「徒然ぐせ」はいつから始まったんだろう?と調べてみました。
なんと17年前!! 2002年(平成14年)の10月号からでした。
せっかくなのでアーカイブとしてwebにアップしていきたいと思います。お楽しみください!
アーカイブ 徒然ぐせ vol.84
現代は、動物にとって苦難の日々であることは間違いがないと思われる出来事が多い。電話で、「子猫を保護したがどうにかならないのか」や「犬が捨てられている」などさまざまな情報が寄せられる。しかし、私たちにできることは限られているので保護した人や見つけた人の力を借りるしかないのです。動物好きな人は、少しでも力を発揮してもらいたいし、嫌いな人には嫌悪を抱かないで欲しいと願っています。動物には受難が続くなと思いながらも、電話を取った。女性の方からの電話で「子猫を近所の子が保護して“おばちゃん何とかして”と子猫を預けられたので、猫を里親が見つかるまで保護してくれる施設はないのか」との問い合わせだった。「そのような施設はありません」と答えると、「以前住んでいた神奈川では、保護した子猫を預かる施設があった」という。「福岡では、保護しても飼えない場合は管理センターにもって行くしかないのですね」と言われた。福岡市民として悲しい気分になるが、自分の非力さを嘆いてもいまの現状は変えることはできないのです。
そんな悲しい気持ちを持ちながら、国際セラピードッグ協会で開催されている「命のセミナー」に参加するために東京に久しぶりに行きました。会場は、多くの参加者でいっぱいでした。代表である大木トオル氏によるお話は心を打つものでした。その話の中で「日本では動物を家族の一員として飼っているとして、飼い主と言う言い方をするが、飼い主と言う呼び方でなく“保護者”と言う呼び方をするようにしましょう。“保護者”と言う呼び方で責任があるという気持ちになるのではないか?だから、皆さんこれからは動物を自分の家族の一員に迎えたら“保護者”になるというようにしませんか」と言う提案があった。言葉の違いは意味の違いになり、気持ちの違いに繋がって責任感を呼び起こすことになってきます。小さなことですが、その小さなことが大切なことなのですと訴えられた。飼い主から“保護者”へ…、保護責任がある。ずいぶん違うなーと実感しました。
皆さん、呼び方一つで、イメージが変わる、大切な命を救える可能性があるのです。小さいことから変えられることがあると思いませんか。ぜひ、“保護者”という呼び方を広げていきませんか。私たちにもできることです。
2009年9月19日発行 10月号
●タイトル「徒然ぐせ」とは…かの有名な「徒然草」をもじったものである。
このエッセイにあたり編集長のクセをタイトルにすることとなった。小誌編集長は犬も猫も大好きである。 特に捨てられている犬・猫を見つけると会社へつれてきては保護する、つまり連れてくるクセがあるのである。今までどれくらい保護したことか…。
(ちなみに編集長に保護された犬や猫は、すべて心やさしい里親に育てられていることは追記しておく。)
今月の犬たち
女の子なのに超いたずらっ子のベリー。ついにやってくれました。随分太ったねーと言っていたら、フードの袋を破いて食べていたのです。お腹は、食べ過ぎパンパン状態。おかげで、ウンチは半端ではなく臭いのなんの!もうやめてよね、ベリー。