毎月連載されている「徒然ぐせ」はいつから始まったんだろう?と調べてみました。
なんと17年前!! 2002年(平成14年)の10月号からでした。
せっかくなのでアーカイブとしてwebにアップしていきたいと思います。お楽しみください!
アーカイブ 徒然ぐせ vol.93
おじいちゃんが亡くなって、やって来ていたミミちゃんが、おばあちゃんの元に帰りました。様々な経緯がありやって来たミミちゃんの幸せを、様々な方面から考えた末の決断です。 犬にとって何が幸せなのか、人間が考えてわかるものなのか?と聞かれたことがあります。私は「わかります」と答えたのですが、それはこんなことでした。
私の元にやって来た犬を、返して欲しいとの電話がかかってきた時の話です。返す所の状況がわかり、犬にとって幸せだとになれると判断ができれば、喜んで返したいというのが本音です。1頭でも少なくなれば、忙しさが減るのは事実だからです。散歩を毎日1頭につき3回している私たちにとって、散歩が3回減るのは嬉しいことです。
しかし、どんなに大変で辛くても、犬にとってどうなのかが大切なのです。言葉で自分の気持ちを表すことができない動物にとって、行動や仕草、目の動きなどで判断をしてやるのが私たちの役目なのです。その時、私は訪ねました。「そこはどんな所ですか?そこに行くことによってこの子は幸せになれますか?」と。その方は「幸せになれるかどうかはわからん。犬が幸せかどうかは犬に聞かんとわからんやろ。あんんたたちは、自分勝手に犬が幸せとか決める傲慢さがある」と言われました。
そんなことはないと思います。 生活するための環境は整っているのか、人手はあるのか、愛情を注いでくれる人がいるのか、など様々なことで犬が幸せになれるのかを判断することはできるのです。そんなことはわからん、という相手に犬を返せるわけがないのです。そのひといわく、「犬が幸せとか不幸せとかを人間が勝手に作り上げている。そんなのは犬に聞くべきだろうし、犬が決めること」と言い切られました。
しかし、犬の顔を見たら幸せかどうかはわかります。現状に満足しているのか、愛されているのか幸せなのかは犬の顔に表れるのです。動物だって楽しそうに笑ったりします。私たちも、いろんなことを言われたりしますが、いろんなことを言われたりしますが、動物を幸せにしたいと願っていますので、どんなことがあっても、自信を持ってこれからも頑張っていくつもりです
2010年6月21日発行 7月号
●タイトル「徒然ぐせ」とは…かの有名な「徒然草」をもじったものである。
このエッセイにあたり編集長のクセをタイトルにすることとなった。小誌編集長は犬も猫も大好きである。 特に捨てられている犬・猫を見つけると会社へつれてきては保護する、つまり連れてくるクセがあるのである。今までどれくらい保護したことか…。
(ちなみに編集長に保護された犬や猫は、すべて心やさしい里親に育てられていることは追記しておく。)
今月の犬たち
春くんは、金太郎の弟だった。クルクルした目や後足の歩き方がソックリ。でも、一つだけ違うことがある。金太郎は、大人しく我慢強いのに春くんは、キャインキャインと耳が痛くなるまで鳴く甘えん坊。側にいると鳴かないのに。大人になろうね春くん!